福山六方学園では、これまで障がいのある人たちの日々の創作活動を紹介する展覧会『はじめまし展』を開催してきました。記念すべき第10回展のテーマは、福祉施設の現場そのものです。
一定のリズムで揺れ動く身体、スタッフに向かって毎日のように投げ込まれる玩具、スタッフの勤務への過剰なまでの執着、どんな時でも大事に抱えその形状さえ変わってきている一冊の本。
福祉施設の現場では、日々障がいのある人たちによる様々な行為が行われています。一見すると「こだわり」や「問題行動」として片づけられがちな行為ですが、そこには障がいのある人たちとスタッフとの信頼関係の中から生まれた豊かな営みの姿があります。
福祉現場でのささやかな日常の行為の積み重ねを「アート」という視点で捉えたとき、日々の事象が肯定的に捉えなおされ、障がいのある人たちの存在意義の大きさを知ることが出来ます。会場内に展示される様々な事象が、私たちの既存の感覚を刺激し、これまでの常識を揺さぶります。
本展を通じて、障がいのある人たちの「表現」を巡る議論が大いに語られ、一人ひとりが新しい視座で物事を見つめ直していく契機となることを願います。

ブロックを積み上げては崩す終わ
らない営み
■開催概要■
FUKUROKU ART 第10 回はじめまし展  
事件は現場で起きている!
2013 年1 月12 日(土)→1 月27 日(日)
10:00→17:00
  
会場=鞆の津ミュージアム     観覧=無料
主催=社会福祉法人創樹会 
後援=広島県、広島県教育委員会、福山市、福山市教育委員会

■関連イベント■
.ープニングレセプション
 1 月12 日( 土) 10:00 〜
∨萋ワークショップ
 福山六方学園に所属する障がいのある人たちが毎日来館し、パフォーマンスや公開制作を開催します。
※都合により変更・中止となる場合があります
山本 佳治 『無題』
(2009) 
セロハンテープの芯の輪っかに付いている薄紙を丁寧に剥がし、それをノートや通販カタログの上に積上げ、糊と自分の唾液で固めては、上からセロハンテープでがんじがらめに封印してゆく。ボールペンで塗りこめられた部分は黒光りし、セロハンテープは幾重にも貼り重ねられてテカテカと光っている。膨大で過剰な情報が乱れ飛ぶ世の中において、卓上に不変な世界を築くことは、彼にとってこの雑多な世の中を生きぬいていく術なのかも知れない。
パズルや裁縫をして過ごす穏やか
な日々の姿
彼女の描く粒々は、日常の想像力
で溢れている
巻き続けることで生まれる色鮮や
かな糸の塊
紙粘土人形は、空き缶やペットボ
トルに魂を宿す
彼女が織る織物は、不思議な魅力
に満ちている
力強く繊細な手の動きから生まれ
る造形の美しさ
描くこと、それは彼女にとって生
きることと同じ
大好きな人形の髪を一針一針縫い
続ける行為
長年、飽きることなく紙を千切り
続ける行為の集積
伝統や技法を超え、彼女だけが織
れる表現の形
空き缶のリングプル集めは自慢の
コレクション!!
ゆっくりのんびり絵を描く、それ
が幸せな時
矢野 浩史 『玩具のやりとりから生まれる幸福な関係』
(2012)
好みの玩具を手にするとすぐに解体し、一部を口元へ引き寄せたり自らのズボンの中に入れたりする。まるで、玩具を自らの体に同化させようとしているかのようだ。しばらく遊んだ後、玩具はスタッフのいる部屋へヒョイと投げ込まれる。スタッフは投げ返すが、彼はまたスタッフの元へと玩具を投げ込んでくる。この一連のやり取りは、スタッフが投げ返してくれることを想定した行為であり、彼とスタッフの信頼関係を示す指標かもしれない。
村上 多美 『糸くずの玉』
(2006 〜 )
織物制作の合間に出てくる糸くずを繋ぎ合わせ、紐を作り紙状の芯に巻き付けている。巻きつけられた糸は、とてつもない時間と作業量を経て次第に大きくなっていく様子は、膨大な作業時間と努力を私たちに想起させる。しかし、ある大きさまで達すると、彼女はあっさりと大きな球を解体し、また別の玉に糸を巻き替えていく。オブジェとしての完成形を目指すことなく、時にはいとも簡単に破壊と再生は繰り返され、玉の数を増やしていく。
西山 友浩 『日記』
(2010)
左に重心がかかり、縦横無尽に引かれた線。一見、何かの暗号のように感じるが、これは日記である。日付の記載こそ異なるが、毎日ほぼ同じ内容で、ささやかな日常の出来事が綴られている。文字は、全て横書きでハネ・ハライが強調され、描いている場に立ち会わなければ、まず解読することはできない。ここ数十年分の日記は、彼の手によって破棄され、現存していない。
御年82歳の彼女が糸を操る姿は、
とても美しい

 
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